笑いとしては何かしらのギャップが必要だが、
芸(見世物)としては、成立していることが必須。
(端的に役割分けすると、ボケとツッコミということになるが。)
似ているだけの物真似は、少なくとも笑いにはならない。
モト冬樹さんが以前した、Gacktさんの物真似はよかった。
一瞬「あれ?」と思ってしまった。
ビヨンセのマネをする太った女性お笑い芸人は、笑いを取る物真似という意味では間違っていない。単純に私があれを見て笑えないどころか愉快な気分にはなれないだけで。
エドはるみ。
いい年のおばさんが面白くないフレーズを連発して悦に入るのは、成立していない。
そもそもがギャグになっていない。
最近は少しずつ変えているようで、それをマジでやっているのだからなおさら辛い。
受けたいと、お笑いで生き残りたいと頑張っている姿は、目も当てられない。
分不相応で、無様で、痛々しい。
「みっともない」という言葉が合うのかもしれない。
それでも、ブームを造る人がいて、乗せられて、生かされた。
役者から、痛々しい芸暦を経て、また役者へ。
この人が「やりたいことがあるなら、いくつになってもあきらめたらダメ」みたいな本を書いたら売れるんだろうな。
24時間走ったら「よく頑張ったね」的な感傷でまた馬鹿共が支持するんだろうな。
私は嫌いです。
狩野英孝。
イケメンが自らをイケメンと称すのは、成立しているけど面白くはない。
不細工が自らをイケメンと称すのは、ギャップがあるけれど成立していない。
気持ち悪い役が自らをキモイと言うのは、成立しているが何だか不愉快。芸名は覚えてないし知りたくもない。
ザ・パンチは、不細工役が言った格好をつけた台詞に対し、相方が嘆きながら遠まわしに死んでくれと言うので、ギャップもあるし成立もしている。何よりその嘆きが面白い。
で、狩野さん。
ぱっと見はイケメンで通じる。
よく見たらそれほどでもない。
しかも何か堂々としていないのが、ますます成立感を削ぐ。
元々韻を踏みつつ「僕イケメン」と言うだけではギャグでもなんでもないのだが、
受けないし成立もしていないので、仕方なく自己肯定で「オッケ〜イ」と言ってみたが、
やはり面白くないし、成立もしていない状態だった。
ただ、今回見たネタは違った。
(いや私がたまたま今回見ただけで、以前から変わっていたのかもしれないが。)
世間的にはそうでもないのに、自分だけはイケメンだと思い込んでいる人で、他人からは当然そういう扱いをされる、というコント。
成立しているし、思い込んでいる人が空回る感じが、少し面白い。
若干冗長に感じたが、それは今後の課題かもしれない。
特に応援してないし好きでもないけど、少しだけ先が見えた気がした。