J-CASTニュース、12月27日の記事より。
http://www.j-cast.com/2007/12/27015117.html
071222、社会学者・宮台真司が、「昨今のKY問題」の原因と、その結果の民度の低下を指摘。
071223、上武大学大学院教授・池田信夫、メディアは党派闘争のみで論理的な論争なしと指摘。
071226、俳優・小栗旬、KYという言葉が許せない、と主張。
ニュース自体がまとまっていないのだが、
それに対して少し考えたので覚書。
流行に敏感っていうのは、流行に着実に追従することだけじゃなく、
流行を察知してそれに逐一拒絶を示すことも含まれないか。
少なくとも、それらしいことにすぐ流されるのは、知的な存在ではない。
流行語を嬉々として使う人は、思考力か判断力かセンスが足りないと思う。
容易く流される人は軽視される。文字通り軽いのだし。
私は流行に乗っていると思われるのが嫌で、単語を意図的に言い換えたりもする。
そういう人は少なくないと思っているが。
私の周りも、
KYという単語を使うときは「あえて流行語を使ってみたこの俺どう?」というポーズで使う。
つまりギャグ。
社会人でKYという言葉を大真面目に使っている人はちょっとどうかと思う。
もう少し言葉の話をすると、これは私の感性だが、
空気を読めを略してKYとするのは、馬鹿みたいだと思う。
ネーミングセンスというのだろうか。
イケメンという言葉もそう。イケてる面、略してイケメン。
頭が悪い人の言葉にしか思えない。
だから私は、自分から使うときは侮蔑の意味を込めて使っている。
「こんな馬鹿な言葉で指されるように、君は顔だけだろ」という意味で。
もう一つ、冒頭の記事で使われている「ブロガー」
ブログをする人、ブロガー。
どのくらいダサいかというと、今になってアムラーと言うくらいダサい。
代替する単語はないが、文意を変えない言い換えは可能だろう。
例えば「自身のブログ」等の言葉で。
そもそもWeblogの省略なんだから、もういじってやるな。
さらに言葉を作ると原義を失う可能性もある。
じゃあ「ブロガーっぽい:ブロガリック」「ブロガーの主義:ブロガリズム」なんて愚鈍で間抜けな言葉も作られたりするのだろうか。どちらもブロガー=思考力のない記者気取り、もしくは、他人が興味の無い自分の事をあれこれ話す人、という侮蔑の意味があれば使用頻度は高そうだが。
ちなみに英語ではBloggerと、Gを重ねる。
PCで入力したキーを記録するスパイウェアは「Key Logger」
Blogerだと発音は「ブロゥジャー」になるのかな。
さて、今度は言葉が指す内容の話。
場に合わせるのは日本の風習。和。
相手を察し尊重するのが日本人の元々の体質。
新世紀エヴァンゲリオンというアニメで、葛城ミサトの家に同居することになった惣流・アスカ・ラングレーが、ふすまに鍵もついていないことに文句を言うシーンがある。それに対し、ミサトは「日本人の心情は察しと思いやりよ」と返す。(うろ覚え)
当時は中学3年生くらいだろうか。
なんとなくの部分の明確な言語化に感心したものだが、それはともかく、
空気を読むのは普通のこと。
衝突・議論を避ける日和見主義や事勿れ主義とは違う。
常識的な会話のマナーレベルの話。
それを強要するのは少し変。その意味でKYという言葉は変。
衝突・議論を避ける日和見主義や事勿れ主義が批判されているのはここ十年くらいずっとだし、それこそKYなんて言葉とは関係がない。
しかし、KY・空気を読めという言葉は面と向かって言われるのだろうか。
女子高生やバラエティ番組ならともかく、
フォーマルな場面ではあり得ないと思う。
なら冒頭のニュースで懸念されているフォーマルな場面では、
言葉ではなく本人の行動が理知的に十分考慮されたかどうかの問題。
結局のところ、
KYなんて言葉を使うのも、必要以上に周りに迎合するのも、知性が足りていないということ。
とりあえず、考えましょう。