日々感じたことや考えたことを公開していきますが基本的には覚書。
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事故は起こり得ない。 "NEVER Happens"
高校生の頭にアーチェリー矢刺さる 神戸

弓道部やアーチェリー部は、扱っているのが武器なので、事故は即、命に関わる。
起こってはいけないから、決して起こらないように配慮するのが当然あるべき姿。

なので普通、事故は起こり得ない。
起こる確率は0%にしなければならない。
それは、部を統率する側も、部員も、全員が心がけておくべきことで、
誰か1人でも隙を作ると、0%が0%ではなくなる。
1%でもあれば、いつか起こってしまう。
必ず、0%でなければならない。

弓というのは、手入れ中に誤って発射するような道具じゃない。
矢を人に向けて、矢を番え、弦を引き、その弦を離す。
どの段階もあり得ない。
設備上要注意しなければならない環境で起こった事故もあり、それはそれで学校側にも問題があるが、今回の事件はどう考えても部員が悪い。
ふざけていたとしか考えられない。そんな人間は絶対に武器に触れるべきではない。
責任を取れという意味ではなく、必要なものが足りていないから、辞めろ。
お願いだから。
【2008.04.28 Monday 23:39】 author : サンスベリア
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直き所以の事
弦直成以其張
矢直成以其矯

弦の直きは其れの張りを以って成す。
矢の直きは其れの矯めを以って成す。

弓の弦と矢は真っ直ぐである。
弦が真っ直ぐなのは弓の上下に引っ張られているからであり、
矢が真っ直ぐなのは矢師が曲がりを矯めているからである。
気の緩みや奔放さは自らを真っ直ぐにはせず、曲げてゆくことになる。



出典:サンスベリア
【2008.02.25 Monday 23:13】 author : サンスベリア
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甲野氏を信じるな@梅路見鸞 "Truth & Dramatizer"
From mixi on 071012:加筆修正、原文中心


驚くべき記述を見つけたので、訂正と真偽の確認のため記載。

要約すると以下の通り。
 無影心月流の開祖・梅路見鸞(うめじけんらん)氏は、弓聖と呼ばれた阿波研造氏からも師と仰がれ、「到底及ばない。」と言わしめた。

私が見かけた記述は別であるが、出典は武術研究家の甲野善紀氏の著書である。


反論要約
 ・阿波氏の「到底及ばない」という言葉は、梅路氏には言っていない。
 ・梅路氏は、阿波氏の師でも兄弟子でもなく、本多利實翁の弟子でもない。
 ・阿波氏が「頭が下がった」と言った事はある。しかし尊敬ゆえの混同にしては脚色が過ぎる。


1.明らかな誤り
 ・「到底及ばない」
 阿波研造氏が「到底及ばない」と言ったのは、彼の師であり本多流の開祖・本多利實翁を指してである。(1
 これは本多流宗家や門弟に語り継がれている確かなことであり、疑う余地が無い。
 甲野氏の言は明らかな誤りである。しかし広まってしまっている。
 至急訂正を要する。

 ・梅路氏と本多流関係の関係
 Wikipediaの「弓術」という項目には「梅路氏は本多利實の高弟」とあるが、誤り。(2
 また、阿波研造の(心の)師であるとか兄弟子だという記述もネット上にチラホラ見るが、これも事実無根。
 阿波氏は1902年ごろに本多利實宗家より免許を受けた。(3
 一方、梅路氏は大正5年=1916年に橘流弓術の門下に入り、2年後の1918年に宗家を継承した。(4
 本多流宗家・本多利實翁は大正6年=1917年に逝去している。(5
 よって明らかに、
 梅路氏は本多利實翁の弟子ではない。
 梅路氏は阿波氏の兄弟子ではない。
 梅路氏は阿波氏の師ではない。

 ・無影心月流側の記述より検証
 無影心月流について書かれた、中西政次著の「弓と禅」から。
 「到底及ばない」という発言が事実であれば通常はその流派の大きな宣伝になると思われるのに、これには書かれていない。
 その本には梅路氏の各エピソードがあり、その中の1つにこうある。

 昭和10年5月8日、阿波・神永範士と安沢・吉田教士が梅路氏の元を訪ねた。
 (阿波研造、神永政吉、安沢平次郎、吉田能安諸氏のことと思われる。)
 阿波氏などは一派を率いる大家であるから他流の道場の門を叩くことは様々な抵抗があるだろうが、こうして自ら梅路氏を訪れて学ぶという姿勢には痛み入る、と書かれていたのでおそらく以前に親交はなくこれが初対面だろう。やり方が異なるために戸惑う部分も書かれてある。
 昭和10年は西暦1935年で、オイゲン・ヘリゲル氏がドイツに帰国した6年後である。(3
 道場では梅路氏の助言で稽古していたようだが、阿波氏は
 「収まりて後の勝手の返往」(緩みのことか)、「発に臨んで停頓」(伸合いの停止か)
 があったらしく、病も癒えていない状態だったらしい。

 その際のことを阿波氏は後日「頭が下がった」と言ったが、
 これは、梅路氏が自ら各人の射をしてみせ自身の内から改善法を見出そうとし、
 締めくくりの一手は本来の素晴らしい射をしてみせたということに対してである。


2.極めて疑わしい点
 ・阿波氏の号
 阿波氏が名乗った号は、1915〜1920年秋までが、「無箭」「無弦」「無弓」。(6
 1920年の神秘体験後、これらの号を捨て「凡鳳」とし、「見鳳」「見法」「宏鴻」と心境に即して号を変えている。 (6
 昭和6年=1931年に「見法」から「宏鴻」に変えた。(7
 そのため、「(尊敬している師の)梅路見鸞老師の号に因んだ」(4 という関連性も極めて疑わしい。
 (そもそも師ではない上に、梅路氏との初コンタクトは晩年・1935年で「見鳳」時代ではない。)


3.終わりに
 甲野善紀氏は現在、武術研究の第一人者として本を多数出版している。
 今回調べるにあたり、数年前には無かった文章(無影心月流に関する文章)のうち、多くの文章が氏の著書を元に書かれていた。 
 私はこれに危機感を覚えたため、今回の文章作成に至った。

 明らかな誤りを流布した甲野氏は、優れた研究家であるとは言えない。
 各自が調べて真偽を判断できればよいが、それができなくても、無批判に受け入れてはいけない。
 ネットワークでは、伝聞の伝聞ということが頻繁におこり、誤情報が流布しやすい。
 注意すべきである。

 また、甲野氏の人格に関しては長野峻也氏に辛辣に批判されており(8 、
 他方その長野氏にも賛否両論がインターネット上に散見される。
 どちらが正しいとは言わないが、偉い人の言葉だと思って全てを信じ込む風潮に私は警鐘を鳴らしたい。

 蛇足ながら、私が甲野氏を嫌いなのは、
 「誤りを含みながら」「自身の恣意的な解釈で」「古人の知恵を我が物のように(自分の技として)」
 紹介して金を稼いでいること、が理由。


参考・引用元
 1 櫻井保之助 「阿波研造・大いなる射の道の教」
  参考:本多流とは(注:サイト「朝嵐」より)
 2 本多流の射手(注:本多流宗家の公式サイトより)
 3 東北学院大学体育会弓道部弓つれづれ
 4 六十三(注:甲野善紀氏の書籍の文字起こし)
 5 本多流の沿革(注:本多流宗家の公式サイトより)
 6 kenzo
 7 英明館弓道場(布目道場)奈良県山添村
 8 以前は長野氏のサイトにて批判が読めたが、書籍化を企画したために削除された?

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 ・アルカンタラの熱い夏 李陵・山月記―弟子・名人伝(中島敦)
 ・ほたるの空 bow and tax 〜弓と税金〜
【2008.01.21 Monday 22:16】 author : サンスベリア
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