日々感じたことや考えたことを公開していきますが基本的には覚書。
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【2022.12.31 Saturday 】 author : スポンサードリンク
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スマートフォン(Android)単体でのスクリーンショット方法

私の場合、SHARP製なので、「電源+HOME」でした。

アンドロイドで、スクリーンショット(画面キャプチャ)を撮る方法|あんどろっぷ
 (2012年春モデルで対応している機種はこちら

詳細は上記リンク先でご確認を。


メーカー・機種毎に方法のみ抜き出して、これを見れば大丈夫、とまとめるのも良いですが、
そうすると最新版に更新しないと気持ち悪いですし、リンクのみの省エネで。
(こういうときにこそWikiを使うべき)

【2012.08.16 Thursday 06:20】 author : サンスベリア
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我々は何故「自粛」していたのか

東日本大震災・大水害および福島原発事故の発生から3ヶ月。
諸々と未だ収束がつかず、災禍の中で悩み苦しむ方々も多くいると聞いている。
解決していない以上、3ヶ月という区切りに意味は無い。ただ、大事なことを書いておきたい。


災害直後に全国を包んだ自粛ムード。その後は皆「いつ自粛をやめるか」の議論に腐心し、果ては自粛など無意味だという意見も強く支持された。
では、「自粛」とは何だったのか。
我々は何故自粛していたのか。

「自粛」は、「日にち薬」である。

被災地の皆様の傷はあまりに深く、何の言葉も届かなかった。外野が何を言おうと、何に感動しようと、
何を捧げようと、当事者はそれらを受け入れることができなかった。
外野とて平気ではなかった。実際に被害を受けていない我々も――公言することではないが――確かに傷ついた。
そして何もできない我が身を悔やみ、責めた。日常の自分を、理性ではなく、その傷口が許さなかった。

双方ともに傷ついた状態で、それを癒す薬は他になかった。すなわち「日にち薬」が必要だった。
そのために、何も騒がず、当たり障りなく、ただ時間が過ぎてくれるのを待つ。それが自粛。
私はそう考えている。
こんなときに「必要だから自粛する」などと考えられるほど、人間は理性的にできていないのだ。
「人は皆理性的であれ」と主張する私が言うのも妙だけれど。


だから、自粛自体は間違っていないし、自粛をやめられる状態はきっと悪くない。
「3ヶ月」が十分な量だという意味ではないが、「日にち」しか役に立たないことがある。


追記。
以上の内容は私の発見したものではなく、エステーのCM動画から学んだこと。
お時間があれば是非とも見てほしい。いささか前の話になるが。

【2011.06.11 Saturday 23:28】 author : サンスベリア
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余震についての覚書

余震が起こるのは悪いことじゃない、と理解して欲しい。


1.「慣れ」は必ずしも悪いものじゃない
 人間、継続的な刺激への反応は徐々に鈍くなるもので、油断や慢心は危険だ。だが、
 揺れの精神的ショックが少なく、かつ危機意識と瞬発力が研ぎ澄まされている状態は、理想的である。

2.頻度は崩壊の兆しじゃない
 ジェンガじゃないんだから、揺れが続くからもう駄目なんだ、ではない。
 そんなの当たり前だと思うだろうが、思いの外、恐怖心というのは論理的ではない。
 ならば、論理によって恐怖心を征服すれば良い。

3.ガス抜きだと考える
 地震は簡単に言うとプレートに溜まったエネルギーが発散されることで起こる。
 極論すれば、こまめに「ガス抜き」をしていれば、大地震は起こらない。
 余震が「ガス抜き」になっているとすれば、そう悪いものでもない。

4.世の中は理屈で動いている
 まずその事実を100%受け入れ、次に理屈を押さえれば、何も怖いものはない。

 日本列島はひしめき合う4つのプレート上に存在し、プレートにはエネルギーが蓄積されていた。
 今回の地震で一部のエネルギーが発散され、プレート間の力バランスが狂った。
 落ち着くまでしばらく余震が続く。力は弱い部分へと流れ流れて、やがて釣り合うのである。

 かなり乱暴な解説ではあるが。

 地震情報をじっと見ていると、震源の位置が何種類かに分かれることに気づくと思う。
 宮城県沖・福島県沖・茨城県沖あたりのものと、長野県や新潟県あたりのものだ。
 いずれの震源も北米プレートの境界付近だが、前者は太平洋プレートとの境界で起こり、
 後者はユーラシアプレートとの境界で起こっている。

 動画にまとめたものがあり、とても解りやすい。
 http://www.youtube.com/watch?v=totP-TObCsc


 ああ、プレートが押し合いへし合いしてるんだ、と思って、不安な気持ちが幾らかマシになってくれれば幸い。

【2011.03.23 Wednesday 00:14】 author : サンスベリア
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東日本大震災 10日目

【現状報告】
 私は関西在住で、被害は全くない。しかし、“16年前”も関西在住だった。
 発生当初、数字を見るだけで結果を察するには十分だと思ったが、後に続々と明らかになる現状、
 二次災害、風説の流布、人々の絶望感や憤り等に心を痛めつつ、
 無力さに打ちのめされたり、その中で可能な言動を行ったりしていた。

【情報整理の必要性】
 甚大な被害と、全国・全世界の人々に不安を与えた本件において、
 一刻も早く、かつ常に、最新で正確な情報を管理・周知する必要があった。当然今もある。

 今回私にはそれをする能力がなく、もちろん一般大衆にもそれはなく、できることと言えば、
 デマや無根拠の言説を流布することなく、またそうしないよう周りに呼びかけつつ、
 専門家等の正しい情報をRetweetするくらいだ。

 今後、対応を十分に考えなければならない。

【主な課題】
・電力供給。夏場に向けて倍増する需要に対し如何に応えるか。
 計画停電を行う技術力は確かに高い。住民の理解やモラルもある。だが、自重には限界がある。
 今後、復興・経済発展を行うなら、大きな需要減よりも代替の電力供給源が必要。

・短期間での復興。町を再建し、住民を呼び戻し、産業を復興させるのにどれだけ時間がかかるか。
 気持ちだけで現実は持たない。経済的なロスが続くと人は離れ、悪循環を招く。

・原子力発電所への対応。発電所や町の除染は何を以って完了とし通知するか。
 除染そのものに加え、風評被害対策を重点的に行わなければならない。

【幾つかの結論】
 日本は頑張れる。日本人は強く優しい心を持っている。
 耳にする、本件における大きな結論の一つを、まず改めて認識して欲しい。

 そして同時に、私は当日の周囲の反応を忘れない。

 私がいたフロアで、まさにあの時、笑っていたヤツがいる。
 規模を知ってもなおヘラヘラと、地震を冗談として扱った人たちを私は許さない。

 日本人の特徴は、「日和見主義」や「付和雷同」の嫌いはあるものの、
 概ね「和を以って尊し」であり「右に倣え」である。
 それは「思い遣る」を媒介とするべきで、「対岸の火事」が主意であってはならない。

 日本人は優れている。しかし、劣化もし易い
 いずれの面も、私は忘れない。

【2011.03.20 Sunday 19:24】 author : サンスベリア
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「三千世界の烏を殺し主と添寝がしてみたい」の作者は木戸孝允

※原文では「烏」の文字が「鴉」

掲題の通り。元の都都逸は「朝寝」ではなく、それは「高杉晋作の作」でもない。
出典を追えば判る話で、詳しくはトラックバック先をご覧頂きたい。


これを踏まえた落語として、「三枚起請」というものがあり、その下げに「朝寝」が出てくる。
【上方落語メモ第3集】その107 / 三枚起請
後世、両者を混合して、「ぬしと朝寝が〜」なぞの亜流が口にされるが、てんで風情がない。
この落語では、「烏」は「振り」で、「朝」が「下げ」だ。2つは同じものを指す別の言葉として使われている。
時間帯1つを描くのに、「烏」と「朝」なんて、2つも単語を使うのは冗長で、無粋。「烏」+「添寝」だからこそ良い。
無粋と言えば、詩の解説は皆無粋で、今の私もまた同じなのだが。


さて、私が異を唱えたいのは、いくつかの可能性を、検証なしに全て「こういう説もある」と認める、安易な尊重主義なのだが、それについては後日記そうと思う。

【2010.10.05 Tuesday 23:50】 author : サンスベリア
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質問サイトはWikipediaより害悪である

Wikipediaが論拠として認められない理由は、「誰でも編集できる」がゆえの信憑性の危うさ、
つまり「参入障壁が低ければ平均品質も下がる」という「抵抗と品質の正比例法則」にあるのだが、
質問サイトはなお性質が悪い。

何故なら、
 「回答者は言いたい放題で、」「評価は質問者の独断で行われるが、」
 「それが生の意見として尊重される」からだ。

回答は自由に行え、他人による編集を受けない。つまい言いたい放題。
その評価は、中立で博識で判断能力の高い第三者ではなく、「知らなかった」質問者自身が行う。質問者を咎める厳しい回答がベストアンサーに選ばれる事はない。極端な話、馴れ合いになる。
→つまり、構造上、そこには改善や向上の意思(もしくはインセンティブ)がないのだ。
 とても「知の共有」とするには至らない。

しかし、それが尊重される。
「誰かが知りたい事」は「他の誰かが知りたい事かもしれない」からだ。
このまま質問サイトや利用者数が増え続け、それらが尊重されるなら、検索結果はノイズで溢れ返ることになる。
情報収集のための時間が、「以前にも同様の質問がありますよ」や「その質問では分かりません」や「『ご教授』ではなく『ご教示』です」などのやりとりに目を通すことで潰れる状態が、人類文明の英知の結集ということになる。
もしくは、自由と権利をいたずらに追求した結果であろう。


Wikipediaは、他者による進路妨害もあるが、自他による進路修正が可能だ。
何よりルールがあり、議論ができ、削除も可能である。
 →そこには改善・向上の意思がある。ならば、Wikipediaの方が断然マシだ。

【2010.09.18 Saturday 18:53】 author : サンスベリア
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「『的を得る』正当説の否定」のコメントへの返信

「的を得る」正当説の否定 "Unfounded"」という記事でコメントを頂いていたのだが、
返信をずっとサボっていた。

コメントは承認制である。私が承認しないと表示されない。
私の独断によれば、これらのコメントは、表示させるには読み手に悪い。
とはいえ、削除するには書き手に悪い。

よってここでまとめて返信し、当該コメントを削除する。


>ビフ 様
どうやら前提の認識に違いがあるようですね。
残念ながら、前提が違う場合は話し合いが成立しませんし、推測は前提になりません。
(前提:昨今の「『的を得る』は間違いだと言われていたが、正しいという説があるぞ!」という風潮)

> もちろん「現状と今後がどうあるべきかを考えた末の主張」です。
こちらは大変結構なことで、その姿勢を是非周りの方々にもお伝え下さい。

ところで、
「『正鵠を得る』から『的を得る』を作る行為が正しいという根拠はなく、誤用の正当化とさして違いがない」
とは言いましたが、
『正鵠』と『的』を同一視する人間は弓矢の見識が甚だ浅く、門外漢が勝手に弓矢の言葉を作るな。
とはっきり言った方が良かったでしょうか。
(やんわりとは言ったのですが)


>「正鵠を得る」派 様
「『的を得る』は誤用」との意見(何の誤用かは別として)には相違ないのですが、
言うなれば、それなら仲良くしましょうよ(笑) 「敵の敵は味方」でしょう?

> 戦前の文章では「的を得る」の用例はほぼ皆無のようですが、「的を射る」の用例も少ないです。
> これらの事実に対して、「正鵠を得る」の用例は多いです。
使用例は参考になりますね。が、その後の安易な推測は禁物です。

そもそも私のは「正当説の否定」です。「的を得る」を正当化する主張には穴がある、という。
最終的に正解が「的を射る」でも「正鵠を得る」でも構いません。


>匿名 様
> なんて表現を使えるような人間性の持ち主であることに少しは恥を感じて貰いたいものです。
> 思慮分別があるとはとても思えません。
これは対人論証の一つ「人身攻撃」と呼ばれるもので、真っ当な話し合いをする際に使用される技法ではありません。

ところでその対象となった私の言葉「1人の講師が唱えた正当説を免罪符にして自己肯定をするエイプをどう思うか。」の内容については、どうでしょうか?

そして貴方は「言葉の誤用に道徳的、倫理的な罪は発生しません」と言いますが、
発生するから言っているのですよ。
正確には、過ちて改めざる行為、つまり誤用と認めず正当説を引き合いに出して、思考を停止して自己主張をする行為は、罪です。
文化に対する罪

知らないし考えない人間を馬鹿と呼ぶのなら、民主主義では、
馬鹿が多数であれば、その支持する安易で簡素で幼稚なものばかりが採用される。
その結果が正しいという保障はない。

それは劣化であって、衰退である。
だから、たとえ言葉は厳しくても、言わなきゃならないんです。
仲良しこよしの、自由・平等主義ではいられないんですよ。
「蒙昧十字軍」に蹂躙されたくなければ。

【2010.09.17 Friday 21:51】 author : サンスベリア
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確かに猛暑だが、たまに焦点がずれていますよ。

残暑は厳しいもの。残暑にはお見舞いするもの。
いずれも定型句として、昔から馴染みがあることと思う。
文字通り「(時節の割に)まだ暑さが残っている」の意味なので、残暑自体は騒ぎ立てることじゃない。
ましてや、地球温暖化と直結させるのは早計。


二十四節気の「立秋」を過ぎた暑さを残暑と呼ぶが、二十四節気は1年を24等分したもの。
その中で、夏至冬至の「二至」と春分秋分の「二分」を「季節の盛り」とするのは、ご尤も。
太陽の位置からも、体感的にも納得できるからだ。

しかし、立春立夏立秋立冬の「四立」は、単純に均等に分割されただけの境目。
四立の日に言われる「暦の上では」という決まり文句が象徴的。

そもそも、季節に明確な境目があるなんて発想は、日本人離れしている。(二十四節気は中国製)
我々には元来、今で言う「グラデーション」が、もっと身近だった。「機微」とでも言うのかな。


猛暑への注意と、「猛暑 − 残暑」の分(増加分)だけ余計に騒ぐのが、正しい報道だろう。
今年はラニーニャ現象で、昨年はエルニーニョ現象で、それらが交互に続くそうだ。
詳しくはよく解らない。知らないなら、何も言わない方が賢い。


なお、暑さが終息する頃は、二十四節気で「処暑」と言い、8月23日だそうだ。
これも等分には違いないが、体感を伴った説明からするに、立秋よりは目安になろう。
よし、先週の暑さを「長引いている」と呼ぶことは許可しようじゃないか。

皆様、くれぐれも体調管理と情報収集にはお気をつけください。

【2010.08.29 Sunday 21:46】 author : サンスベリア
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池上彰氏を肯定、ネット情報を否定、なんて猶予期間の終わり。

結局、池上彰氏の解説で、本当に重要なことは知れましたか。
あなたの「知っておきたい」欲求が満たされた以外に、何か「隠蔽されている衝撃的な事実」は得られましたか。

教わってないはずです。存在すら。
結局、彼も「テレビ」の人間だったのです。


ネットは信用できないですか。
自ら情報源を確認する時間もありませんか。

ネット上とはいえ、多くの人が口にするには、理由があると思いませんか
ギャップはお察ししますが、そのギャップが無視してはいけないレベルだとしたら、どう思いますか。


間もなく「知らなくても良い猶予期間」は終了を迎えます。
早く移行しないと、砂嵐が待ってます。

【2010.07.08 Thursday 23:34】 author : サンスベリア
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安心を求める人間の傾向とその誘導方法

人間の傾向等について覚書。


 ・「自論の整合性よりも安心感」
  安心感を得る為に他者に確認し、必要であれば自論を変更する。
  保身を最優先させ、整合性を二の次とする。

 ・「知っておきたい」欲求
  「ある程度は知って把握したい」と同時に「深く追求したくはない」という欲求。
  特に、効果の追求よりも労力の節約を重視する。これも安心したい欲求。
   →答えを与えられると満足する。レッテルが貼られると尚良い。

 ・「選択肢の水増し」という詭弁
  「間違ったジレンマ」という、予め選択肢を制限しておく詭弁の手法があるが、
  逆に、選択肢を増やすことも詭弁の一種。要するに消去法が死ぬ。

  (詭弁の分類については再考・修正が必要。)


総じて、人間は弱く、疲れやすく、安心を求める。
そして理由が必要、つまりどう転んでも「自分は悪くない」状態である必要がある。
「信じて良い根拠」があると思われれば勝ちだ。ある程度の「説得力」さえ見せれば。

【2010.07.04 Sunday 23:45】 author : サンスベリア
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